今回は、原信夫さんの
お嫁さん(妻)の名前など
息子さん・娘さんの画像や経歴・学歴などや
孫の動画や経歴・学歴など
などなど…原信夫さんの娘・息子・孫やお嫁さん(妻)に関する情報について書きました。
原信夫の娘の名前・画像や経歴や学歴などは?
引用:http://joyconcept.co.jp/greeting_profile/
原信夫さんの娘さんについてですが
- 名前:額賀真理子さん
- 原信夫さんの長女
- ジョイコンセプトCEO
夫は、額賀雅敏さんで上智大学のクラスメートになります。
横浜市生まれ
幼少期より音楽や美術に囲まれた環境で育つ
捜真高校→上智大学
1977年、夫・額賀雅敏と共に、千駄ヶ谷で「ギャラリーぬかが」設立
1988年、義弟の経営する「レストランHiramatsu」と共に広尾に移転
バルビゾン派、印象派、エコール・ド・パリを中心に、フランス美術を商う。ピカソ、シャガール、ワイエス展など数多くの美術展を開催
2006年、「有限会社ジョイコンセプト」を設立し、日本のクリエーターのプロデュースを始める
自宅のインテリアをフランスのアート専門テレビが紹介し、海外の視聴者からプロデューサーとしてのセンスを絶賛される
2007年、ジャズの生演奏が聴ける「Bar BLUE FLAME」を創設
その後の経歴ですが
2008年、現代の浮世絵師・立原位貫氏に出会い「ギャラリーぬかが」にて立原位貫展開催。
アルマーニ銀座タワーにて、東京都知事・石原慎太郎氏の若き日の作品を集めた展覧会を開催2009年 Bar BLUE FLAMEにて、月1回の文化セミナー「BLUE FLAME ACADEMY」の開催を始める。
ブシュロン銀座店にて、最新のLED応用技術を使った堀木エリ子「愛でるあかり」展 開催2010年 カンヌ「ART Affair CANNES ’10」に出展、立原位貫氏を紹介。
フィレンツェ「ジャパンフェスティバル」に出展、立原位貫氏を紹介。
立原位貫氏の自伝『一刀一絵』(ポプラ社刊)をプロデュース2011年 「LUMITRANCE®(ルミトランス)」の開発(商標登録、意匠登録済)に着手。
美術品を活かした「LUMINART(ルミナート)」を開発。ルミナート浮世絵展を開催2012年 「LUMITRANCE®(ルミトランス)」を商品化
2013年 「LUMITRANCE®(ルミトランス)」の発表(現在特許申請中)。
東京デザイナーズウィークに出展2014年 アートフェア東京2014に「LUMITRANCE+(ルミトランス・プラス)」を出展
となっています。
以上が、原信夫さんの娘さんに関する記事ですね。
原信夫の息子の経歴・学歴などは?
引用:https://m.facebook.com/photo.php?fbid=3882731061794907&id=100001741536115&set=t.1727603835&source=42
原信夫さんの息子さんですが
- 名前:原とも也さん
- 1958年、横浜に生まれ
中学時代、サンタナを聴きロックギターを始め、同時にクラシックギターの勉強をはじめる
高校時代から、中牟礼貞則さん・潮崎郁男さんにジャズギターを学ぶ
神奈川県立港北高校卒業
1977年6月~1978年1月、アメリカ・ニューヨーク大学教育学部音楽科で学ぶ
1980年、カナダ・オンタリオ州立ハンバーカレッジ音楽に入学し、ジャズ理論及び実技を学ぶ
在学中に、ギター部門でベストスチューデント賞を受賞し、1983年卒業
1983年夏、カナダ バンフの“The Banff Centre for the Arts”にてベーシストのデイヴ ホランドを中心としたジャズワークショップに参加し、ジョン アバークロンビー、デイヴ リーブマン、ケニー ウィーラー、ドン トンプソンなど世界一流のジャズミュージシャン達に師事する
帰国後1984年、「原信夫とシャープス&フラッツ」に9年間に所属する
1993年よりフリーとなり、自己のグループでの演奏、作曲活動。
ミュージカル“City of Angels”、“Miss Saigon”、“Les Miserables”、“Lion King”、 その他いくつかのミュージカルにも参加。
セント メリーズ インターナショナルスクール、ベースメント音学院、 FREAK音楽塾、横浜コンテンポラリー音楽院を経て、現在、自宅スタジオ、青山カワイミュージックスクールなどで講師として後進の指導を行う
そして、原信夫さんの息子さんの活動歴ですが
【NHK FM放送出演履歴】
“セッション’85” 4/27 笈田 敏夫グループ
“セッション’85” 11/2 塚原 知哉トリオ (以前は本名のこの名前を使っていた)
“セッション’86” 1/11 ギタリスト特集
“セッション’87” 新人特集
“セッション’93” 6/27 塚原 知哉トリオ
“セッション’95” 3/11 原 とも也グループ1993年8月、“ジュリー アンドリュース、アンドレ プレヴィン ミーツ NHK交響楽団”に参加出演。
1999年、CD, “ インティメイションス /Bob Kenmotsu+Hara Tomoya Duo featuring Babatunde ” を日米両国にてリリース。
2001年7月、第8回‘Hawaii International Jazz Festival’ に「The [mi:na] trio」のメンバーとして出 演。
2004年、 ギター/ベースデュオCD, 「WINDOW/Tomoya Hara and Mark Tourian」をリリース。
2006年、9月「Window Trio Tour 2006」千葉、横浜、京都、金沢、加賀市、富山、上越市、みずき野、新発田市、新潟市、青森、秋田、盛岡、仙台、福島、水戸の16ケ所にて演奏活動。【その他の参加レコード・CD】
“笈田 敏夫/Forever ”、“ 原 信夫とシャープス&フラッツ/ Willow Crest ”、“ Big Band Big Boss Vol. 1,2,3 ”、 “ Red Roses for Blue Lady ”、他
以上が、原信夫さんの息子さんに関する記事ですね。
原信夫の嫁(妻)はジャズピアニスト?
原信夫さんのお嫁さん(妻)は、ジャズピアニストの塚原愛子(あいこ)さんで
大阪府大阪市出身で
「原信夫とシャープス&フラッツ」で初代ピアニストとして活躍されていました。
2015年5月、脳梗塞で89歳で亡くなっています。
以上が、原信夫さんのお嫁さん(妻)に関する記事ですね。
原信夫の孫の名前や画像は?経歴・学歴は?
原信夫さんの孫についてですが
- 名前:原ゆうまさん
- 1992年、神奈川県横浜市生まれ
- ギターリスト・プロデューサー
- 父親は、原とも也
父親の影響でギターを始める
中学から、スモールクラブのジャムセッションに通い、ギターやベース・ドラムなど様々な楽器に触れる
中学校でパンク好きの友人に出会ってから、本格的にギターに目覚める
ちなみに、ボーカルを担当した最初のバンドにて、ジミ・ヘンドリックスに因む「J.M.YUMA」の名乗るほどのジミ・ヘンドリックス好きだそうです。
東京大学附属高校進学後、クラシックギターを学ぶ
東京音楽大学卒業
2014年、21歳でボストンのバークリー音楽大学に進学し、ジャズ・ギターを学ぶ
同大学の教授でギターリストのJeff Lockhartさんに誘われ、老舗ジャズクラブの火曜レギュラーメンバーになる
さらに、CDアルバム2枚・アナログレコード2枚のレコーディングに参加する
帰国後、東京の「Uplift Studio Japan」を拠点に音楽制作を行う
そして、ギターリストとしての評価も高く、さだまさし、DEAN FUJIOKA、Little Glee Monsterなどのツアーに同行し、同世代で交流のあるWONKやNao Kawamuraのサポートとしても活動
CHEMISTRYのアルバムにも参加し参加楽曲が12inchレコードリリースされる
2018年7月、自身初プロデュースアルバム「THE DAYS」をリリース
国籍も様々な個性的なシンガー6人を迎え、国内外で高い評価を受ける実力派ミュージシャンが参加。国内はもとより海外にも反響を呼んだ。『THE DAYS』収録曲からNu-Discoの貴公子”T-Groove”がリミックスをした「Be Free T-Groove Remix (feat. Monique Dehaney)」が国内で7inchレコード化限定生産を開始。海を渡り英BBCラジオなどで週50回以上放送,レコードが入手困難な事から巷で話題となりイギリスにてSoul/R&Bのコンピレーションアルバムに収録が実現。後にUK SOUL CHART 1位を記録した。
以上が、原信夫さんの孫に関する記事ですね。