今回は、三菱電機会長の柵山正樹さんの
生年月日などのwiki風プロフィールや
出身高校・大学などの学歴
学生時代のエピソードの数々
三菱電機入社後からの経歴
お嫁さん(妻)との馴れ初めやエピソードの数々
などなど…柵山正樹さんについて書きました。
柵山正樹のwikiや生年月日は?
柵山正樹さんの生年月日やwikiですが
- 名前:柵山正樹(さくやままさき)
- 生年月日:1952年3月17日
- 出身地:兵庫県
ちなみに、柵山正樹さんは、現在は東京に住まれていますが
三菱電機入社後から31年間はずっと関西に住まれていました。
以上が、柵山正樹さんの生年月日やwikiになりますね。
柵山正樹の経歴は?
柵山正樹さんの経歴ですが
1977年4月、三菱電機株式会社入社
関西で発電機や大型モニターに携われる所と言う条件で出会った会社でした。
2008年4月、三菱電機株式会社常務執行役、電力・産業システム事業担当
2010年4月、三菱電機株式会社専務執行役、経営企画・関係会社担当
2010年6月、三菱電機株式会社取締役、指名委員、専務執行役、経営企画・関係会社担当
2012年4月、三菱電機株式会社取締役、指名委員、代表執行役、執行役副社長、半導体・デバイス事業担当
2012年6月、三菱電機株式会社代表執行役、執行役副社長、半導体・デバイス事業担当
2014年4月、三菱電機株式会社代表執行役、執行役社長
2014年6月、三菱電機株式会社取締役、代表執行役、執行役社長
2018年4月、三菱電機株式会社取締役会長
柵山正樹さんは、元々技術者でした。
その為
所長時代に「棚残」(たなざん)と呼ばれる棚卸資産を短期間のうちに削減し、いまも山西健一郎氏(現同社会長)に「柵山を見ると、棚残を思い出す」と言わしめるほど、現場主義の姿勢は変わらない。
と言った感じで、現場主義の方だそうです。
そんな柵山正樹さんの経歴の詳細は
入社後から、6年間ずっと発電所のタービン発電機に携わる。
31歳からライセンス提供してたメーカーとの技術者交換契約で1年間、アメリカで仕事を行い、技術的自立を目標に向かい、日々自分たちで設計できるよう技術開発に取り組む日々でした。
当時は自社で小型発電機を作る技術はあっても、大型発電機を作る技術はなかったそうで、アメリカから技術ライセンスを貰い作ってたそうです。
帰国後の30代も、技術的自立の戦いで、毎日が大変でかなりハードに働かれてたそうです。
そのおかげで、自分達の技術だけで大型発電機を開発し、技術的自立を果たしたそうです。
40代は発電機の開発を離れ発電プラントの仕事や製造部長を行い、50代では香川県の受配電システム事業部長や神戸の電力システム製作所長などを務めます。
その後、東京で会社経営に加わる
ちなみに、柵山正樹さんは入社式の時に役員から「月に1冊専門書を読め」と言われ、現在でも経営哲学・宇宙・時代小説など様々な本を沢山読まれ、向上心を持ち学び続けられています。
以上が、柵山正樹さんの経歴になりますね。
柵山正樹の学歴(出身高校・大学)は?妻(嫁)との馴れ初めは?
柵山正樹さんの学歴は
出身中学・高校は、灘(偏差値79 全国1位の学力)でした。
子供の頃から理科系人間で、中学・高校ではアマチュア無線に夢中になってたそうです。
その後、東京大学工学部に進学し、機械工学を学びます。
専門分野は、潤滑(摩擦を減らし動きを滑らかにする)とシャフトの軸受けの研究になります。
卒論は、高速回転体です。
東京大学では、「女子大生と一緒に登山ができる」と言う言葉につられ、登山のサークルに入ります。
ただ、このサークルは、キャンパスを何周もランニングし、荷物や友人を担いで非常階段や奥多摩の山を登るなど…スパルタな所だったそうです。
さらに、大学の外のクラブも加わり、毎週の様に山形・福島・新潟の3県にまたがる飯豊連峰全山縦走、南アルプス、北アルプス、中央アルプスなどを山を登ってたそうです。
その後、東京大学大学院を修了されています。
大学院でも大学の研究を続け、研究者を目指し博士課程まで進み、国家公務員上級試験にも合格されています。
手掛けた製品が社会で活躍する醍醐味に勝るものはなく、実業の方が面白いかもしれないと思い、博士課程を中退し企業に入る道を選びます。
最後に、お嫁さん(妻)に関する情報ですが
お嫁さん(妻)とは、お互いに18歳の時に、東京大学の登山サークルで知り合います。
そして、1977年10月に結婚しています。
ちなみに、柵山正樹さんは休日に、お嫁さん(妻)とテニスやゴルフに行く事が多いそうです。
お嫁さん(妻)とは、かなり仲良しな事が分かりますね。
以上が、柵山正樹さんの学歴やお嫁さん(妻)に関する記事ですね。