今回は、南こうせつさんの
- 出身高校や高校時代について
- お嫁さん(妻)・育代さんに関する情報
などなど…について書きました。
南こうせつの妻(嫁)の画像は?
南こうせつさんのお嫁さん(妻)は、エッセイストの南育代(いくよ)さんになります。
こちらが、お嫁さん(妻)・育代さんの画像では?と言われています。
引用:https://vegefrumamma.ti-da.net/e8153428.html
妻の育代さんは
- 1979年2月、「富士山からのおくりもの:こうせつ一家・四季のうた」
- 1983年4月、「南こうせつ一家の野菜・くだものクッキング:おいしく食べて美しく!ヘルシーメニュー150」
- 1988年7月、「海の見える丘の家」
- 1990年8月、「南こうせつ一家のたのしい食卓海の見える丘の家」
などの著書があります。
妻の育代さんは、1949年生まれで、1973年に結婚しています。
妻との馴れ初めですが、南こうせつさんと育代さんは高円寺の同じアパートの2つ隣に住んでて、南こうせつさんの荷物が間違って妻の育代さんの部屋に配達され、「この荷物はオタクのじゃないか?」と言われたのが出会いだったそうです。
その時、夏の暑い日の「オールナイトニッポン」明けで朝の4時半頃に、妻・育代さんの家をピンポーンしたそうです。
その時の様子を
ぱっと顔をみたときに、かわいい娘が立っていて、僕はパンツ1枚にTシャツだった
とコメントされています。
その後、半年間は会えなかったそうですが、ゴミ捨て場で顔を合わせ話す様になり、交際が始まります。
その後、妻の育代さんと南こうせつさんは同棲生活を始めますが、育代さんの妹から咎められ、2人は駆け落ちをします。
そして、高円寺のアパートから同じ中央線の四谷に引っ越します。
ちなみに、「神田川」は喜多條忠さんが自身の同棲時代を思い出し、南こうせつさんに電話で歌詞を伝え、南こうせつさんは即興でメロディをつけて歌い、電話の後30分程で完成した曲だそうです。
南こうせつの出身高校は舞鶴で偏差値は?
南こうせつさんの出身高校は大分舞鶴高校(偏差値68)になります。
南こうせつさんは、高校時代はコーラス部に所属しています。
コーラス部の1年後輩の伊勢正三さんとフォークバンド「ヤングフォーク」を結成し、活動を行っていました。
当時は、エレキギターも弾かれてて、洋楽が好きで、「洋楽をもっと知りたい」「歌手になりたい」と言う気持ちがあったそうです。
その為には東京に行くしかないと考え、明治学院大学 社会学部に入学されています。
ちなみに、明治学院大学は中退をされています。