今回は、仙台市長の郡和子さんの
学生時代(若い頃)の経歴や大学時代の意外な同級生について
アナウンサー時代(若い頃)の経歴や画像
アナウンサー時代の受賞歴
現在までの経歴
などなど…郡和子さんのアナウンサー時代など若い頃について書きました。
郡和子の学生時代(若い頃)の経歴は?
郡和子さんの学生時代(若い頃)の経歴ですが
1957年3月31日、仙台市生まれ
仙台市立長町小学校→仙台市立秋保中学校→宮城県立第二女子高校→東北学院大学経済学部
大学時代は
- 五十嵐之雄教授のゼミに所属し、街でマーケティング調査や広告の効果を考察してた
- 歌手の大友康平さんとはゼミの同期生だった
- 放送部に所属してた
- 時事に関する知識を深める為に、英字新聞の社説をテキストにしてた
と言った感じの学生だったそうです。
かなり、優秀な学生時代を過ごされたんでしょうね~
郡和子のアナウンサー時代(若い頃)の経歴や画像は?
郡和子さんのアナウンサー時代の経歴や画像ですが
引用:http://backtothe90spart3.blog.fc2.com/blog-entry-2.html?sp
1979年、大学卒業後仙台市内にある東北放送株式会社に入社
郡和子さんは、幼少期からアナウンサーを目指されていて、それ以外の道は考えていなかったそうです。
入社後は、アナウンサー、解説委員、報道制作局などニュースキャスターを18年間務める
2005年、報道制作局部長就任
そして、郡和子さんがアナウンサーから政治家を志したきっかけですが
アナウンサーを務める間に、市民活動家の人達と知り合う機会があり、実際に共に活動する中で、「市民運動の大切さや女性の政治参画の必要性」を感じるも、アナウンサーとしてやりたい事があり、放送でできる事があると思ってたので、政治家になろうとは思ってなかった
その後、2004年に選挙の誘いを受け、「ある程度放送はやり終えたかもしれない」と言う気持ちが強くなっていて、色々な人達の声を政策の中で反映する方がより実行的で、自身が「女性の参画が必要だ」と訴えてて、声が掛かり出ないのでは女がすたると思い、政治の道に進む事を決心されます。
郡和子さんは、アナウンサー時代に市民活動に積極的に関わり、重度心身しょうがい施設「リプネットみやぎ」の役員などを務めています。
ちなみに、郡和子さんはアナウンサー時代には、番組制作に積極的に関わり、自分で企画・取材・制作した数々の作品で賞を受賞されています。
1998年、「あれは民主主義の学校だったのか」(宮城県知事選に出馬した浅野史郎さんの選挙戦に追ったドキュメンタリー)にて、民間放送連盟賞優秀賞
2005年、「北へ渡ったヒーロー~北朝鮮帰国事業とは何だったのか~」(在日朝鮮人で、仙台の地元野球選手としての活躍した波山次郎の帰国事業を追ったドキュメンタリー)にて、プロデューサーを務め、ギャラクシー賞選奨
「女たちの 50 年~いのちの歌が聞こえる~」を自ら制作し、アノンシスト賞ラジオ朗読部門で日本一を獲得
アナウンサー時代から郡和子さんは、優秀な方だった事が分かりますね。
郡和子の経歴は?
最後に、郡和子さんの現在までの経歴ですが
2005年、第44回衆議院議員選挙で初当選(東北比例)
2009年、第45回衆議院議員選挙2期目当選
2012年、第46回衆議院議員選挙3期目当選(東北比例)
2014年、第47回衆議院議員選挙4期目当選(東北比例)
2017年6月9日、仙台市長選挙に市民団体の要請を受け、仙台市長選に立候補する事を表明
2017年7月、仙台市長当選
となっています。
以上が、郡和子さんの経歴に関する記事ですね。
https://akasannbiz.com/2021/07/13/koorikazuko-oltuto-musume/
https://akasannbiz.com/2021/07/30/kanoumituyo-koukou-keireki/