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森忠仁(元阪神)のwiki・経歴や出身高校は?成績まとめ

今回は、日本プロ野球選手会事務局長の森忠仁さんの

 

 

 

wiki風プロフィールや

 

出身中学・高校や

中学・高校時代の成績

 

 

阪神時代の成績や

 

プロ引退後の経歴

 

 

 

などなど…森忠仁さんについて書きました。

森忠仁(元阪神)のwiki風プロフィールは?中学・高校時代の経歴は?

森忠仁さんのwiki風プロフィールですが

名前:森忠仁(もりただひと)
生年月日:1962年6月2日生まれ
出身地:千葉県千葉市幸町

ポジション:外野手
右投げ右打ち

 

 

中学・高校時代などの経歴は

 

野球好きの父親の影響で幼稚園から野球に接する

小学校までチームに所属せず、友達と遊びながらプレーするレベルだった

 

1975年、幸町中学校からは、平日は学校の野球部で休日は近所の硬式野球チームに所属する

1977年、全国大会優勝 日本代表で渡米

 

1978年に強豪・千葉商業高校に進学し、投手を務めるも、1979年夏頃に肩を壊してしまう

高校時代は、甲子園に出場はできなかった

 

 

以上が、森忠仁さんのwikiや中学・高校時代に関する記事ですね。

森忠仁の阪神時代の成績やプロ引退後の経歴は?

森忠仁さんの阪神時代の成績とプロ引退後の経歴ですが

 

1980年、ドラフト外で阪神タイガースに入団する(背番号68)

投手として入団するも、強打を活かすために、外野手転向する

プロ当初は練習について行くのがやっとで、1年目は体重が10㎏くらい落ちた

 

6年間プロを務め、5年目のシーズンはオープン戦でヒットを打つなど活躍を見せるも、プロでの1軍入りはできなかった

藤井寺球場での本塁打が多かったので、「藤井寺の森」と呼ばれてた

 

阪神を戦力外になり、複数の入団テストを受けるも不合格で、プロを引退する

 

 

プロ野球選手時代(在籍年数:1981~1986年)の成績は

ウエスタンリーグ 出場270試合 安打85 打点48 本塁打12 打率.215

 

 

プロ引退後、地元でお世話になってた人に相談し、小さな証券会社を紹介して貰い10年ほど勤務する

証券会社では「場立ち」という仕事をしてた

場立ちとは

今ではもうなくなりましたが、かつては人間が手でサインを作って売り買い注文を伝達していたんです。

と言った感じの仕事になります。

 

その後、保険代理店に転職し、営業職などを務める

保険代理店に勤めてた頃に、先代の日本プロ野球選手会事務局長の松原徹さんからから「選手会で一緒に働かないか?」と言われました。

松原徹さんは、プロ野球界出身で一般企業社会経験者を探してたそうです。

 

事情が変わり一度話が流れますが、数年後の2000年に松原徹さんが事務局長に就任し、再び声をかけてもらい、選手会で働く事を決める

松原徹さんから「現役選手とためにも、おかしいと感じたところを変えていかないか?」と言われ、自分の力を活かせるならと転職を決めたそうです。

そして、最低年俸の引き上げ、統一契約書の見直し、オフシーズンの確立、球場の安全対策(地方球場のラバーフェンス設置やダグアウトのエアコン設置など)を取り組まれたそうです。

 

2015年、松原徹さんが亡くなったので、日本プロ野球選手会事務局長に就任

 

 

以上が、森忠仁さんに関する記事ですね。