今回は、安倍晋三さんの母親・安倍洋子さんの
- 若い頃の経歴
- 出身高校などの学歴
などなど…について書きました。
安倍洋子の若い頃や学歴は?高校は白百合学園出身?
安倍洋子さんですが
1928年6月11日、岸信介さんと良子さんの長女として、東京府豊多摩郡中野町千光前町に生まれます。
岸信介さんが満州国政府への赴任中の1936年~1939年は、中野の家で母方の祖母に育ったそうです。
1945年、白百合高等女学校(現、白百合学園中学校・高校)を卒業
白百合高等女学校は、1935年に仏英和高等女学校から改めた校名で、1945年に空襲で校舎が全焼してしまいます。
その後、1947年に学制改革で白百合学園中学校を設置、1948年に学制改革で白百合学園高等学校を設置します。
そして、白百合学園中学・高校は
- 白百合学園中学の偏差値68
- 東京都千代田区の中高一貫校
- 2007年に創立125周年を迎える
- 木村多江さん、高田万由子さん、藤野真紀子さん、宇野実彩子さん、秋元玲奈さん、松たか子さん、大塚久美子さんなどが出身
と言った感じの学校になります。
安倍洋子の若い頃の経歴は?
さらに、安倍洋子さんは
高校卒業後、岸家の実家がある山口県田布施町へ疎開し、山口銀行の田布施支店に勤務します。
1949年、上京
1950年6月、当時は毎日新聞の政治部記者の安倍晋太郎さんと見合いをし、1951年5月に結婚する
元々、岸信介さんは「娘は新聞記者に嫁にやる」と公言されてたそうです。
ちなみに、安倍晋太郎さんと洋子さんが結婚する際、岸信介さんと長男の信和さんと仲子さん夫婦に子供ができなかったので、「三人目が男なら岸家の養子にする」と言う約束が交わされてたそうです。
1953年、第26回衆議院議員総選挙に山口2区から岸信介さんが立候補した際に、初めて選挙応援の挨拶に回ります。
1959年、三男の岸信夫さんが生まれたそうです。
信夫さんが生まれてすぐ、晋太郎さん夫婦と信和さん夫婦に、岸信夫さんの弟・佐藤栄作さんが加わって話し合いが行われたそうです。
岸信夫さんは、安倍家に頻繁に遊びに来ましたが、安倍洋子さんの事を「おばちゃま」、寛信さん・晋三さんの事を「おっきい兄ちゃん」「ちっちゃい兄ちゃん」と呼んでいました。
ちなみに、岸信夫さんは、寛信さん・晋三さんと兄弟である事や養子である事を知らずに育ち、慶應義塾大学進学時に戸籍を見て、自身が養子である事を知り、「何で教えてくれなかったんだ」と1か月程は頭の中が混乱していたそうです。
安倍晋三さんは、父親は全然家におらず、母親も選挙区に帰る事が多く、両親不在の家に育ちます。
この事について、安倍晋三さんは
やっぱり普通の家庭への憧れはあった。人の家に遊びに行って友達が両親なんかと楽しそうに話してたり、父親と何か楽しそうにやり合っているのを見ると『ああ、いいな』と思ったりしたものです。それに引き替え、うちの家には父は全然いないし、母も選挙区へ帰ることが多かった。だから父がたまに家にいたりすると、何かぎくしゃくした感じがしたものだった
と語られています。
引用:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/45140?page=1&imp=0
以上が、安倍洋子さんの若い頃や学歴に関する記事ですね。
https://akasannbiz.com/2022/07/11/abeakiesannoryoushin/
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