今回は、小林清志さんの
- 結婚や家族に関する情報
- 若い頃に関する情報
などなど…小林清志さんについて書きました。
小林清志の結婚や嫁(妻)や息子・孫など家族の情報まとめ
小林清志さんですが、結婚されてるのか?お嫁さん(妻)・子供さんがいてるのかどうか?は不明でした。
次元大介のコスプレーヤーの方のツイッターに
音大に行くと副科が必須であるからというのもあるかもしれませんね!
ちなみに、私は次元三世です(声だけ)祖父が小林清志という声優です!
でも私は女です…笑
と言うコメントされてる方がいてました。
このコメントをされてる人のツイッターは現在見る事が出来ません。
そして、現状では、もしかしたら、小林清志さんには孫娘がいてて、音大に通ってた可能性があるかも?と言う噂レベルで実際どうなのか?に関しては不明です。
ご心配いただきありがとうございます😌確かにそうですね(笑)
ただ、他の方の引用RTを見ていると、お知り合いと思われる方が複数証言されています。私は本当だったら素敵だなぁと思っています👍— 三次元大介 (@3_Jigen_daisuke) October 6, 2020
小林清志の若い頃は?
小林清志さんの若い頃ですが
1933年1月11日、東京府(現、東京都)根津生まれになります。
第二次世界大戦中は、父親が埼玉出身なので、加須に疎開します。
疎開先の旧制不動岡中学では、卓球の県代表を務めます。
中学時代は英語の成績が優秀で、将来は映画監督か脚本家になりたかったそうです。
出身高校は、東京の名門の進学校・小石川高校出身で、大学受験で東京大学仏文科を受験されるも不合格だったそうです。
浪人生活を送ったのを機に、日本大学芸術学部 演劇科に進学されます。
小林清志さんは、大学に進学されてから演劇を始めました。
大学休学中に、監督の独立プロダクション系の映画に端役で出演されます。
大学卒業後は、国民文化研究所を経て、劇団泉座の研究員になり、中国の戯曲などで舞台役者を務めます。
その後、1958年舞台劇「ケイン号の反乱」の翻訳が評価され、翻訳の仕事を始めます。
さらに、小林守夫さんの紹介で植村伴次郎さんに会い、声優の仕事を誘われ、1958年から海外作品の吹き替えを始めます。
当初は声優業と月2本ペースで翻訳をされていましたが、多忙になり声優に専念されます。
1962年、海外ドラマ「ジスマン・ドーソン」では声優と翻訳を担当
さらに、白黒時代のスパイダーマンの声とナレーションを担当されています。
小林清志さんといえば、自分の中では昔のアメリカドラマの吹き替えを時々やっている人というイメージもある。
白黒時代のスーパーマンの声、ナレーションを担当。
(正確に言えば昭和31年の本放送は別の人で、再放送から小林さんだったそう。映像はたぶん再放送版)#小林清志 https://t.co/Hz5PooapnR— rectan(レクタン) (@rectangle14) September 7, 2021
そして、1963年の「鉄腕アトム」以降は、アニメの声優も担当される様になります。
1971年からテレビアニメ「ルパン三世」の次元大介担当になります。
ちなみに、こちらは1981年のFM大阪ソニー・ミュージックラボラトリ「PCMライブ」の小林清志さんのエンディングの声になります。
以上が、小林清志さんに関する記事ですね。