今回は、藤堂和子さんの
- wikiや経歴・若い頃について
- 旦那(夫)や息子さんに関する情報
などなど…について書きました。
藤堂和子のwiki・経歴や若い頃は?
藤堂和子さんですが
1946年、福岡県福岡市生まれになります。
祖母のマツさんは、伝説のギャング、アル・カポネ時代のアメリカでバーを開店させた人になります。
そして、母親のアヤさんは、美容師をされていましたが、酒場で働き始め、エキゾチックな美貌で売れっ子になり、自分の店を持った方になります。
藤堂和子さんにとって、祖母が人生のお手本なら、日本で店を開いた母のアヤさんはライバルだそうです。
藤堂和子さんは祖母・母親について
「祖母と私は“出っ張り虫(でしゃばり)”ですが、母は基本的に控えめ。なにもかもが正反対なんです」
「高校受験のころ遅くまで勉強していると、酔った母が鮨折りを持って帰ってくるんだけど、酔っぱらって振り回すから、お鮨が隅に寄ってしまうんです。そのたびに、“ああ、きれいに詰まったお鮨が食べたか”と思ったものです(笑い)」
引用:https://www.news-postseven.com/archives/20120515_107688.html?DETAIL
とコメントされています。
そして、18歳の頃にトヨペット福岡にOLとして務めていました。
1971年、24歳で叔父が趣味で始めた老舗の航空スタンドバー「リンドバーグ」を義姉から受け継ぎ、人気店に成長をさせます。
義姉のお産の為、お兄さんに頼まれて、20歳で義姉のお店「リンドバーグ」を手伝いました。
最初はお店に出るのも嫌で、カウンターで愛想笑いや話さえしない日もありましたが、お店の先輩に「美しい人は黙っていてもいいけれど、ほとんどの人はお客様に好かれて初めてご飯が食べられるとよ」と言われ、「そこまで言われたら、たくさんのお客さんに好かれちゃる」と持ち前の負けん気に火が付いたそうです。
さらに
――常連客「ママ(義姉)は?」
――店「今日はいません」
――常連客「じゃあまた」義姉が留守の店内で、日々繰り返される常連客とのこんなやり取りに一念発起。「頭くるじゃない?たまにはのぞいてください。私とお話しましょと声をかけてみたんです」。スイッチが入った藤堂さんに先輩ホステスが驚く中、瞬く間に店のにぎわいが戻っていったという。
引用:https://hakata.keizai.biz/column/26/
となり、義姉が半年後にお店に復帰した時は、店のお客さんはほぼ藤堂和子さんのファンになっていました。
なので、義姉は「和ちゃんの時代だ」と店から身を引いたそうです。
1990年代に兄の店だった高級クラブ「ロイヤルボックス」の経営を引き受け、中洲一のクラブに成長させます。
「ロイヤルボックス」は、一時期繁盛していましたが、バブルがはじけた頃から経営が苦しくなり、借金は5億にのぼってたそうです。
藤堂和子さんはしぶしぶ引き受けましたが、見事立て直し、中洲一のクラブに育て上げました。
1980年~、中洲の文化を発信する月一回刊行の情報誌「中州通信」を創刊し、編集長を務めています。
ただ、最初はとても大変だったそうです。
さらに、現在はKBC九州朝日放送ラジオ「藤堂和子の女性塾」に塾長として出演されています。
藤堂和子の旦那(夫)や息子は?
藤堂和子さんは、面食いだそうです。
最初に結婚を意識したのは、大阪の資産家の息子だそうですが、その人が姉に「嫁になるなら、水商売はやめてもらわな、あかんわ」と言った事で、誇りを持って働いていた和子さんは「水商売という仕事をきちんと認めてくれる人以外とは、結婚しない」と決心されたそうです。
その後、24歳の時に、仕事を続ける事を許してくれる人と結婚します。
その人は、1歳年下で、アラン・ドロンさんと石坂浩二さんを足して割ったような男前だったそうです。
そして、藤堂和子さんは「リンドバーグ」のママを任され、生まれた息子さんは、母に預けて仕事を続けたそうです。
ただ、その方とも
「でも、男の人って、生活が落ち着くにつれて“仕事をやめてくれ、暗い家に帰るのはいやだ”といいだす。それならと思って、家を出るとき、電気もエアコンもつけておいたんですけど、そういうことじゃないって(笑い)」
となり、35才の時に離婚されます。
その後、運命の人で人生の恩師となる方と出会います。
その人は、写真家で雑誌などの企画編集に携わる人で、すでに家庭がありましたが
おれはおまえさんに品物をプレゼントする趣味はない。
でも、おまえさんの知識を増やしてあげることはできるよ。おれが死んだとき、“ガイがいてよかった”と思えるようなことは、なんでもしてやる
といい、銀座をはじめ一流の場所、一流の人を次々と紹介してくれたそうです。
そして、その人とはいつしか男と女の関係になり、そして別れを迎えますが、情は切れることなく、遠くから和子さんを見守っていてくれてたそうです。
そして、2007年の夏頃にその人が亡くなり、突然の訃報に驚いている藤堂和子さんに、その人の夫人は
密葬ですませましたが、お別れの会には藤堂さんにも来ていただくと、磯貝も喜びます
と言って、藤堂和子さんは同じ女性として「かなわない」と感じて、自分が愛した男性の懐の深さを改めて知ったそうです。
藤堂和子さんの息子さんは、藤堂信太郎さんになります。
引用:https://m.facebook.com/shintaro.todo?lst=100012196412338%3A100003060450196%3A1665724200&eav=Afaa-QHnmckj5E_Fbn918io1JZs3Cx6XzFgMzwXiloAGKYGHxJD9Udv47v4T-eAK1I8&fref=nf&pn_ref=story&paipv=0
プロフィールは
- 生年月日:1974年2月18日
- 出身地:福岡県福岡市
- 明徳義塾高校出身
となります。
息子さんのfacebookによりますと
株式会社レクリス 代表取締役
資本金4000万
福岡市中央区 平尾浄水町7-7
会社法人登記番号2900-01-024720Reckless U.S.A., Inc.
President&CEO 資本金10万USドルReckless. GERMANY GmbH
President&CEO 資本金10万ユーロRECKLESS.Korea CO., LTD.
代表理事 資本金3億5千万ウォン株式会社ST.エンタープライズ
会社法人登記番号2900-01-028706
福岡市中央区 平尾浄水町7-7 3F
代表取締役 資本金300万円株式会社東洋新薬
最高顧問
2005 経済産業大臣賞受賞
25才の時受けたIQテスト186
全日本空手道選手権 組手 優勝
引用:https://www.facebook.com/shintaro.todo/about_details
となっています。
以上が、藤堂和子さんに関する記事ですね。