今回は、新たに経団連会長に就任された十倉雅和さんの
プロフィールや家族について
出身高校や大学
大学受験のエピソード
幼少期から現在までの経歴
などなど…十倉雅和さんについて書きました。
十倉雅和のプロフィールは?
十倉雅和さんのプロフィールですが
- 名前:十倉雅和(とくらまさかず)
- 生年月日:1950年7月10日
- 出身地:兵庫県西脇市
家族は
父親は地元紙の記者・母親は小中学校の教師
弟は、物理学者で東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授・理工学研究所創発物性科学研究センター センター長の十倉好紀(よしのり)さん
2015年4月時点で2歳の孫娘がいてる
となっています。
十倉雅和さんは、漫画好きで有名です。
小学校の頃に創刊された少年マガジン・少年サンデーを愛読し、社会人になってからは弘警兼憲史さんや浦沢直樹さんなど幅広く読む。
高校時代に、雑誌COMに掲載されてた手塚治虫さんの「火の鳥」に出会ったそうです。
「進撃の巨人」は退職後の楽しみで、読まずに取ってるそうです。
以上が、十倉雅和さんのプロフィールになりますね。
十倉雅和の学歴(出身高校・大学)は?
出身高校・大学などの学歴ですが
地元の小中学校→兵庫県立西脇高校→東京大学経済学部
となっています。
西脇高校は
- 現在の偏差値46~56
- 普通科と生活情報科がある
高校になります。
当時は、東京の大学に入る例の少ない高校でした。
大学受験の1969年春は大学紛争で東京大学の受験が中止になり、一度早稲田大学に入り、1970年に東京大学を受け直しました。
元々は理学部の数学科志望でしたが、そこまで才能に自信がなく数学を活かせる経済学部に入ります。
ちなみに、弟さんは元々文系が得意だったそうですが、理系の道を進まれてるそうです。
以上が、十倉雅和さんの出身高校・大学などの学歴になりますね。
十倉雅和の経歴は?
十倉雅和さんの経歴ですが
子供の頃は、同居してた母方の祖父母に育てられた
周囲が山で囲まれて、豊かな自然の中の地方都市で生まれ育つ
1974年4月、「無から有を創る」と言う夢を感じた化学業界にひかれ、住友化学工業株式会社(現、住友化学株式会社)入社
その後、大阪の本社査業部査業課に4年配属される
全社の事業の俯瞰(ふかん)できる十倉雅和さんの希望通りに部署で、そこで人格者で有名な課長に配属初日に「査業と言うのは、こういう風に査定する。だからと言った、自分が偉いと勘違いしてはいけない。そういう機能を果たすだけで、決して偉そうな態度をとらず、相手の意見を謙虚に聞きなさい」と言われるなど…
この方との出会いは、十倉雅和さんにとって宝だそうです。
その後、染料などを手掛ける大阪製造所の総務部査業課にて、全国に散らばっていた染料や顔料などファインケミカル事業で再編プロジェクトに関わる
30代では、前半で大阪工場の生産企画課、後半は本社で経営企画の仕事を行い、会社の組織や制度の変革に取り組む
1998年3月、精密化学業務室部長
2000年12月、技術・経営企画室部長
2001年、事業統合準備室部長
2003年6月、執行役員 技術・経営企画室部長
2006年4月、執行役員 事業化推進室・精密業務室・情報電子科学業務室・情報電子化学品質保証室担当
2006年6月、常務執行役員
2008年6月、代表取締役常務執行役員
2009年4月、代表取締役専務執行役員
2011年4月、代表取締役社長
まず、自社のいい伝統として全員に実践を求めたのが、言論の自由とプラグマティズム(実用主義)。理屈ばかりをこねず、事象に即して現実的に考え、実際に行動に移す企業文化は、何としても継承していきたい。現場をちゃんとみて「正しい」と思うことを主張し、「正しくない」と思うことは指摘し、行動に移さなくてはいけない。やはり「不可有心」が軸だ。
2019年4月、代表取締役会長
十倉雅和さんは
偉くなると、往々にして、みんな慮かって物を言わなくなる。それでは、上司は「裸の王様」になりかねない。「自由闊達に議論する」と言うことこそが、会社を強くする。
と言う信念があるそうです。
以上が、十倉雅和さんの経歴になりますね。