今回は、大分1区から出馬される高橋舞子さんの
wiki風プロフィールや
出身高校・大学などの学歴
政経塾や記者時代などの経歴
などなど…高橋舞子さんとはどんな方なのか?について書きました。
高橋舞子(大分)のwikiは?学歴(出身高校・大学)は?
まずは、高橋舞子さんのwiki風プロフィールですが
1988年4月23日、東京都出身で小さな特許事務所の社長の父親と大分県・山香町出身で専業主婦の母親の間に、3人きょうだいの末っ子として生まれる
趣味:温泉、息子と犬と散歩、剣道
好きな言葉:武士道、信じる、ワンチーム
家族構成:夫、息子
出身高校は不明でしたが…中学・高校・大学時代は
中学時代に、司馬遼太郎さんの本と出会い、討幕派・佐幕派も自分の利益ではなく理想の為に戦ってる姿に憧れを抱く
きょうだいが不登校ひきこもりをしていたので、小学校卒業と当時に北海道で寮生活をされ、中学は北海道の女子校で、優しい友達に囲まれてたそうです。
中学時代に政治家を志したそうで、きっかけは
昭和63年生まれの私にとって、日本という国は「縮小する国」、「下り坂の国」でした。生まれてすぐにバブルが崩壊し、GDPは中国に抜かれ、人口は減少し続ける。そんなことを感じていた中学1年生の時に、司馬遼太郎さんの歴史小説と出会ったのです。幕末時代の日本は経済や人口の規模は今よりもずっと小さかったにも関わらず、本当に素晴らしいものを持っていました。そして、その国を守るために命を懸けて外国と交渉し、改革を成し遂げたたくさんの英雄がいました。その生きざまを学ぶなかで、足元の経済状況や人口問題に捉われることなく、日本がどんな苦境にあったとしても、最後まで少しでもこの国に貢献できるようになりたいという想いが強くなり、政治を志すようになりました。
と言った感じだそうです。
引用:https://takahashi-maiko.com/archives/42
高校では、「西郷隆盛さんに近づきたい」という想いで、剣道部に入ります。強い選手ではなかったけど、「間違えたら自ら申告をし、対戦相手への敬意を重んじる」という精神を学んだそうです。
引用:https://takahashi-maiko.com/archives/42
2007年~2011年、上智大学 総合人間科学部教育学科卒
台湾出身の金美齢さんが書かれた「日本人に生まれて幸せですか」を読み、「こんなにも日本のことを大事に思ってくれている台湾に対して、私も日本人として何か恩返しをしなければならない」という気持ちになり、台湾へ交換留学をされたそうです。
引用:https://takahashi-maiko.com/archives/42
と言った感じだったそうです。
ちなみに、北海道の女子中学校だと
- 遺愛女子中学
- 札幌聖心女子学院中学
- 函館白百合学園中学
- 藤女子中学
- 北星学園女子中学
などがありますね。
もしかしたら、上記の中に高橋舞子さんの出身中学があるかも?しれませんね。
以上が、高橋舞子さんのwikiや学歴に関する記事ですね。
高橋舞子(大分)の経歴は?ブルームバーグ記者など
高橋舞子の経歴ですが
2011年、松下政経塾入塾(32期)
政治家を目指すには「まずは少しでも政治の世界に近づかなければいけない」という思いで、松下政経塾に入塾します。研究テーマは「道徳大国」になります。
「政治の現場で働きたい」という思いと、司馬遼太郎さんと同じ記者として政治の世界に関わる為に、松下政経塾を1年で辞めます。
引用:https://takahashi-maiko.com/archives/42
2012年~2014年、時事通信社 社会部記者
政治家になることに猛反対していた母親が、京都総局で警察担当時に、母が遊びに来て、夜中にお賽銭泥棒の逮捕に関する広報が送られてきて、高橋舞子さんは飛び起きて取材をされたそうです。
初めて娘の働く姿を見た母は、何も言わずにそれ以降は何をしようとしても応援してくれるようになったそうです。
2014年~、3年間ブルームバーグ 政治部部記者務め、永田町で取材などを行ってた
政治家の夢を目指す為に、転職をし政治部記者になり、甘利明さんの番記者としてTPP交渉の取材を担当します。
この取材で「理想の政治、日本を体現している自民党の政治家になりたいと強く憧れた」そうです。
TPP交渉は価値観を共有する国の間での貿易を活発化させて経済発展を目指す国際協定ですが、他の参加国の期待を背負って、超大国アメリカを相手に一歩も引かずに交渉し、すべての国が納得できる着地点へと交渉をリードする姿に、初めて小説の外の世界で理想の日本を目の当たりにしました。政治への憧れが確信へと変わった瞬間でした。
引用:https://takahashi-maiko.com/archives/42
2019年~、自由民主党大分県衆議院第一支部 支部長
2019年6月、自民党大分県連の公募で、8人から次期衆院選の候補予定者に選出され、夫婦で東京の会社を辞めて、大分で政治活動を始めました。
母親が大分県杵築市出身である事から公募に応募されたそうです。阿部英仁会長は「政治家として原石だが、スピーチに表現力があり、政策も良かった」と評価されています。
記者会見では、「修行不足の身ではありますが、一人でも多くの人と話をし汗をかいていきたい」と決意を語られていました。
以上が、高橋舞子さんの経歴になりますね。
https://akasannbiz.com/2021/10/16/takahashimaiko-oltuto/