今回は、退任される事を発表した聖望学園監督の岡本幹成さんの
- wiki風プロフィール
- 経歴やエピソード
- 出身高校・大学や学生時代
などなど…岡本幹成さんについて書きました。
岡本幹成(聖望学園)のwikiは?出身高校・大学は?
岡本幹成さんのwiki風プロフィールですが
- 名前:岡本幹成(おかもとみきしげ)
- 年齢:1961年生まれの61歳
- 出身地:大阪府守口市
北陽高校に進学後、1年遅れで大阪府立桜宮高校(1981年卒)に入学されます。
高野連の規定で2年夏に引退してからも、学生コーチとして部に残ります。
1981年に東北福祉大学に進学されます。
肩を痛めてしまったので、1981年6月に大阪に帰りました。
その時、桜宮高校野球部の監督だった恩師の伊藤義博さんに「俺は甲子園に行く。お前はこのチームを手伝え」と言われ、桜宮高校でのコーチ業に専念され、指導者の道を進みます。
2人はどこに行くのも一緒で、伊藤さんの苦労が岡本幹成さんには手に取るように分かったそうです。
そして、伊藤さんが野球部と家族の事で悩んでたある日2人で占いをしてもらった時に「東へ行きなさい」と言われました。
その後、伊藤義博さんは1984年に東北福祉大学野球部監督になり
岡本幹成さんは1986年に聖望学園高校野球部監督に24歳で就任されています。
岡本幹成(聖望学園)の経歴は?
https://youtu.be/VWN0htf9WZ8
聖望学園高校の野球部に就任後の岡本幹成さんは「グラウンドもあるし、選手せえ集まれば」何とかなると考え、5年で結果を残そう決意し、生活面からスパルタ方針で指導をされたそうです。
1991年には、元プロ野球選手の門倉健さん・小野公誠さんを擁し、強豪校になるも、春・関東・夏の決勝で春日部共栄に3連敗をします。
その後、ベスト4が最高になり、甲子園が遠のきます。
この時は「何が足りないのかを考えるのも怖かった」と苦闘の日々が続きます。
そして、1997年に「あと2年で甲子園に行けなかったら監督を辞める」と決め、吹っ切れたそうです。
「俺が甲子園に連れて行く」から「俺を甲子園に連れて行って欲しい」に変わり、指導も自主性を重んじるようになり、「勝ち負けより、自分の心に残る納得のできるチームをつくりたい」と思う様になります。
1999年夏、鳥谷敬さんを擁し、甲子園初出場を決めます。甲子園では日田林工に3対4で負けて初戦で敗退しています。
甲子園には、2003年夏 ベスト8・2008年春 準優勝・2009年夏 1回戦 2022年夏 2回戦敗退と通算5回出場されています。
岡本幹成さんは、門倉健さん・小野公誠さん・鳥谷敬さんをプロに排出しています。
そして、鳥谷さんについて
(門倉さん、小野さん、鳥谷さん)3人とも1軍で活躍してくれたのが大きいけど、トリ1人で5人分ぐらいの存在感、効果があるんじゃないかな。
とコメントされています。
そして、こちらが岡本幹成さんが鳥谷さんについて語られてる動画です。
岡本幹成さんのモットーはけじめのある自由で、頭髪は自由でお菓子を食べるのもジュースを飲むのも自由になります。
さらに、選手は普段好きな音楽を流しながら打撃練習をされてるそうです。
でも、外に出ようとすると、かなり怒られるそうです。
岡本幹成さんは「けじめ、人生を歩む上で、我慢の大切さだけは覚えて欲しい」とコメントされています。
そして、岡本幹成さんの監督論は
監督の持論は、3つの性格野球。
【猪突猛進派】 野球以外は何も考えない「野球小僧」。確実性は劣るが予想外のプレーをする。
【先読み冷静派】 試合の展開や自分の能力を冷静に見つめ慌てない。信頼できるが臨機応変な対応が苦手。
【風見鶏派】 試合の流れを掴み、どちらにも付く。この3つの性格の子がいるチームを組むのが理想だと言う。素質のある選手と勝てる選手は違う。
選手の才能は勿論だが、打力は相手投手次第で計算出来ない。これに比べ、守備、走塁などは練習量に比例して確実に伸びる。いかに我慢して基本練習に耐える精神力を養うかにかかる。
引用:https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.hb-nippon.com/column/437-baseballclub/6498-clmn2009-01-date20100531no03bc/amp%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D
だそうです。
以上が、岡本幹成さんに関する記事ですね。