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佐々木啓司の息子・達也の年齢などは?嫁(妻)・千明は寮母!

今回は、クラーク国際記念高校の監督・佐々木啓司さんの家族に関する記事ですね。

次男の達也さんは、現在はクラーク国際記念高校の野球部部長を務めてて、お嫁さん(妻)の千明さんは野球部選手寮の寮母を務めらています。

さらに、次男さんは高校時代の野球部ではキャプテンを務め、大学1年冬から学生コーチを務められ、25歳で父親の佐々木啓司さんが総監督を務める駒大岩見沢高校の監督に就任をされています。

今回は、そんな息子さんとお嫁さん(妻)など家族に関する記事ですね。

佐々木啓司の息子・達也の年齢などは?嫁(妻)・千明は寮母!

佐々木啓司さんの次男(息子)ですが、達也さんになります。

学歴は、駒大岩見沢高校→駒沢大学 経済学部になります。

息子の達也さんは、クラーク高校野球部の部長を務めてて、父親の佐々木啓二さんを支えています。

そして、息子の達也さんの年齢ですが、2022年3月4日時点で38歳になります。

佐々木啓司さんと次男さんとお嫁さん(妻)は、深川市納内(おさむない)地区の寮で共同生活をされています。

引用:https://www.47news.jp/7484950.html

お嫁さん(妻)の千明さんは、寮母さんを務められています。

クラーク高校の野球部の選手全員、寮で住まれてて、北海道の新鮮な食材を使った抜群の料理が出てくるそうなので、お嫁さん(妻)の千明さんは料理上手な方っぽいですね。

引用:https://sports.clark.ed.jp/club/baseball

佐々木啓司の息子(長男)の画像は?

こちらは、小さい頃の長男さんと次男になります。

長男さんの現在については不明でした。

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佐々木啓司の息子(次男)の経歴まとめ

息子の達也さんですが、駒大岩見沢高校からセカンドとして駒沢大学野球部に入部するも、駒大学生コーチを希望する学生がおらず、さらに駒大の監督の太田誠さんから「コーチ業を学んだらどうか」と助言され、「そういう仕事に携えるなら」と大学1年の冬に学生コーチに転向され、学生野球界の公式戦500勝を誇る名将の太田誠さんから直接指導を受けたそうです。

大学卒業後も、駒大で1年間は駒大でコーチについて学びました。

こちらは、駒大に在籍してた時の息子・達也さんの画像になります。

引用:https://plaza.rakuten.co.jp/takataketyan/diary/200707210000/?scid=wi_blg_amp_diary_next

駒大岩見沢高校の野球部ではキャプテンを務めていましたが、甲子園出場はなりませんでした。

息子の達也さんは、父親の背中を見て育ち小学校の頃の夢は野球の監督で、選手時代から卓越した野球理論と性格の良さから早くからコーチや監督をと目されてたそうです。

2009年2月1日から、25歳の時に駒大岩見沢高校の監督に就任されています。

同校の総監督は、父親の佐々木啓司さんが務めていました。

監督就任時「未熟ですが、栄光を築いた総監督、前監督の打ち勝つ野球を継承します」「ヒグマ打線があって初めて駒岩。駒岩の野球がつまらなくなったといわれないようなチームを作っていきたい」とコメントされています。

さらに、総監督の佐々木啓司さんは「指導、育成については勉強して分かってる。でも、大変でしょうね」と息子の達也さんの監督就任についてコメントされています。

その後、2009年3月19日からの栃木遠征の練習試合で7連敗をしたそうです。

息子の達也さんは、初めての指揮で何をしていいのかわからず、お腹が痛くなったそうですが、父親の佐々木啓二さんから「まぁ、落ち着け」と言われ、8試合目に監督初勝利を挙げられています。

その後、監督として、2011年5月22日に滝川西に10対0の5回コールドで勝利し、7年連続30度目の春全道切符を掴みました。

引用:https://www.nikkansports.com/m/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20110522-779497.html

息子・達也のクラーク高校でのエピソードは?

佐々木啓司さんは、2014年4月からクラーク高校の監督に就任されています。

当初は、専用グランドもなく、3年 1人・1年 8人の計9人でスタートし、お嫁(妻)と次男さんとともに一家で野球部を強くして行きました。

息子の達也さんは、2013年末からクラーク高校の職員になり、佐々木啓二さんが就任前にチームを立ち上げ、準備を整えました。

当初は、部員1人と息子の達也さんのみで、マンツーマンで練習に取り組みました。

さらに、この頃は野球部専用の練習スペースがなく、クラークの宿泊施設に息子の達也さんは寝泊りしてたそうです。

そして、新入生募集も通信制がネックになり集まらず、息子の達也さんは部員集めの為に毎週金曜の夜に飛行機の最終便で東京や大阪や愛知など行き、大量の名刺・学校のパンフレット・お土産を抱え、思い付くツテのすべて頼って片っ端からチームを訪問されてたそうです。