今回は、引退される事を発表した宮台康平選手の
- 結婚してるのか?
- 父親・忠さんの経歴や学歴
- 父親・忠さんとのエピソード
などなど…について書きました。
宮台康平は結婚せず独身?嫁(妻)は?
宮台康平選手ですが、2022年2月17日の記事によりますと、結婚しておらず独身だそうです。
1995(平成7)年7月1日生まれ、26歳。神奈川県出身。湘南高から東大文科Ⅰ類に現役合格。東京六大学リーグ通算38試合に登板し、6勝13敗、防御率4・26。2018年ドラフト7位で日本ハム入団。同年8月に初登板で初先発(4回⅔で2失点)し、その後は1軍登板なし。21年にヤクルト移籍。昨季は2軍で27試合に登板、1勝1敗1S、防御率2・13。178センチ、83キロ。左投げ左打ち。独身。
引用:https://www.sanspo.com/article/20220217-BLTR2SVYIRODHARFWWX3J7U4EA/2/
宮台康平の父親・忠は立教出身で松陽高校の監督?
宮台康平選手の父親は忠さんになります。
年齢は2018年7月19日時点で52歳となります。
引用:https://www.kanaloco.jp/sports/baseball/hsbaseball/entry-33370.html
父親の忠さんは、2018年春から松陽高校の監督に就任されています。
松陽高校が6校目の指導者になります。
監督としてのテーマは「凡事徹底」で当たり前の事を当たり前にやる事で、部員には野球技術だけなく、学習面を最優先に考えてるそうです。
テーマは「凡事徹底」
当たり前の事を当たり前にやること。
野球の技術はもちろん、松陽高校生として、学習面を最優先に考えている。
夢は、松陽生から東大野球部員を輩出すること。
決して高いハードルではない、と語る。
「松陽に骨を埋める覚悟」
OB、後援会、保護者会、近隣住民の応援を肌で感じ、
松陽最高成績のベスト16を超えたいと意気込んでいる。
ただ、2020年春から松陽高校の監督は武宮義明さんとなってるので、現在は松陽高校の監督ではないっぽいです。
引用:http://kouzai.ie-t.net/shoyo_baseball/history.html
父親・忠さんは、横浜市立新田中学校時代にサードで全国大会に出場されています。
ちなみに、その時にショートを守ってた選手の子供さん(明治大学・富岡優太さん)と神宮で宮台康平選手と対戦された事があり、父親の忠さんは嬉しかったそうです。
高校は私学からも誘いを受けましたが、「勉強も野球もしたい」「東京六大学でプレーしたい」と言う思いから横浜翠嵐高校に進学されました。
忠さんの1学年上が強く、横浜と延長戦をしたり桐光学園や向上に勝ったりしてたそうです。
忠さんの代では、シード権を獲得しましたが、夏の2回戦で負けてしまいました。
当時は、人数が少なった事もあり、忠さんがキャッチャーに回ってたそうです。
忠さんの同級生は、20人近く東大に進学されたそうです。
忠さんは、当時の塾の先生が「早稲田はいいぞ」と言ってた事や3年夏の初戦の相手高校の監督から「ぼくは慶應出身なんだけど、勉強して慶應に来ないか?」と言われ、六大学を目指してたそうです。
その後2浪し、立教大学に入学します。
大学では先輩に野球部に誘われますが、体重が落ちてたので自身が持てず野球をしていませんでした。
そんな時に、母校の翠嵐高校から「コーチをやらないか」と誘われ、忠さんは「監督をやらせて下さい」と言い、2年程学生監督をされました。
宮台康平と父親・忠とのエピソードまとめ
父親の忠さんは、宮台康平選手が1人目の子供さんだったので、何が何でも野球をやって欲しかったそうで、公園でキャッチボールや自宅でカラーボールで遊ぶなどしましたが、最初に初めてのはサッカーだったそうです。
父親・忠さんは宮台康平選手が中学に入る前に「ある程度の成績を取れなければ、自分が苦労する事になるぞ」と言った事があるそうですが、中学受験を除き「勉強しろ」と言った事がないそうです。
宮台康平選手が高校3年夏に負けて帰って来た時に「すっきりした。これで野球は終わり勉強する」と言った時に、忠さんは「すげぇ奴だな」と思ったそうです。
宮台康平選手に2017年3月に「オープン戦が終わったら話したいから、残っていて」と言われ、「俺、就活しないから」と本気でプロを目指す事を言われたそうです。
ちなみに、次男の大輝さんは湘南高校・三男の真伍さんは桜丘と息子さん3人とも高校まで野球をされています。
その事に対し「3人とも高校球児になってくれて父親として満足です。」とコメントされています。