今回は、宇田川優希選手の
- 高校・大学時代のエピソード
- 両親に関する情報
などなど…について書きました。
宇田川優希の八南高校・仙台大学時代のエピソードは?
小学2年生時に兄の影響で、市内の少年野球チーム「宮本ジャイアンツ」に加入し、越谷市立西中学時代は軟式野球部に所属されていました。
埼玉県立八潮南高校に進学します。
八潮南高校の斎藤繁監督は「でも、だって、どうせ、無理、できない」を部員達に使わせず、練習試合も強豪校と積極的に組んでいき、部員達の意識改革に取り組まれていました。
宇田川優希選手も斎藤監督の指導で自身の野球観が大きく変わったそうです。
八潮南高校には、自宅から自転車通学で1時間かけて通っていました。
八潮高校では、3年夏の大会の3回戦の正智深谷線戦では15回まで戦い2対2となり再試合となりましたが、宇田川優希選手は2連投されています。
再試合では、8回まで7対2と勝ってて、宇田川優希選手自身も「勝った」と思ったそうですが、8回裏に味方のエラーなども重なり7対11で負けてしまいました。
終わった直後は何が何だかわからず涙は出なかったそうですが、「この仲間達ともう一緒に野球は出来ないんだ」と急に悲しみが込み上げて来たそうです。
宇田川優希選手は高校3年春の帝京高校との練習試合で当時最速142㎞を出してたので、帝京高校のコーチの目にとまり、仙台大学の森本監督に「八潮南に良い投手がいる」と伝えてくれ、森本監督が直接見に来てくれてその時に正式にスカウトされました。
当時、八潮南高校野球部の部員35人中で大学または社会人野球に進んだのは宇田川優希選手だけだったそうです。
高校では球速はあったものの、制球に苦しんだそうです。
仙台大学では、元ロッテの坪井俊樹コーチがいてて、「まずは器を大きくする事を目標に組み立てた。出力が大きくなれば球も速く強くなりますから」と育成されたそうです。
食事とトレーニングにより、入学時76㎏だった体重が約1年間で90㎏に増え、2年秋には最速152㎞を記録します。
さらに、持ち前の体の柔らかさに強さが加わり、球持ちがよく・肩が開かない・タイミングが取りにくいフォームが完成し、1年夏に覚えたフォークを武器にリリーフエースに成長されました。
大学では、1年春からベンチ入り、3年春・秋と2季連続で規定投球回に到達、春は5試合で28回1/3を投げ、2勝1敗・35奪三振・防御率0.64を記録します。
そして、2020年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから育成ドラフト3位で指名を受けました。
宇田川優希はハーフ!両親は?母親はフィリピン人で父親は日本人!
宇田川優希選手ですが、父親が日本人で母親がフィリピン人になります。
母親は陽気な性格な方だそうですが、宇田川優希選手自身はあまり人とは話す方じゃないそうです。
ちなみに、2020年3月23日の「sportiva」の記事にて、ハーフな事について
「ハーフだからといって嫌な思いをしたことはないですし、たぶん150キロを超えるボールが投げられるのも、そういうの(ルーツ)が関係していると思うので、自分にとってはいいことだと思っています」
引用:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2020/03/23/___split_9/index_3.php
とコメントされています。
https://akasannbiz.com/2022/10/30/udagawayuuki-kyoudai/